自分中心レポート

自分中心心理学オールイズワン認定ライフ・デザイナー三竿史朗のブログです

荒波と凪

「私は、荒波が好きです」

 

「ダイナミックさに感動を覚えます」

 

「水しぶきが舞い上がっているのを見ると、

その躍動感に、自然の雄大さを感じます」

 

「私は、凪が好きです」

 

「あの穏やかな感じがたまらなく落ち着きます」

 

「どこまでも広がる水平線を見ていると、

心が和むのです」

 

お互いがそれぞれ、自分の好きな海について

語っています。

 

しかし、これを相手に押しつけると

どうなるでしょうか。

 

「俺は、荒波が好きなんだよ」

 

「凪が好きなんて、何、甘っちょろいこと

言ってるんだ」

 

「何でも荒々しく、激しい方が生きてる

実感があるってもんだろう」

 

「のんびりなんて、いらねえよ」

 

「私は、凪の方がいいと思ってるわ」

 

「何で、わざわざ、荒れた海を

見なきゃいけないのよ」

 

「落ち着いた海を見なさいよ」

 

「気持ちが和んでくるんだから」

 

世の中で、問題が起きる時、それは、互いに

相手のことを認めていないから、争いになる

のではないでしょうか。

 

「自分は、これが好き」に留めておいたら、

相手と激しく言い争うことにもならないと

思うのです。

 

相手のことをとやかく言ったり、否定したり

するから、問題がエスカレートするのです。

 

これは、自分中心心理学で言う所の

選択の責任のラインを超えている状

態とも言えます。

 

選択の責任とは、自分が選んだことに関して、

責任を取るという考え方です。

 

相手のことにまで、責任を取る必要は

ありません。

 

これは、「私の自由」「相手の自由」を

認めるという考え方にも繋がります。

 

人間関係で、これを互いに侵害し合うから、

問題が起きているというケースがほとんど

です。

 

冒頭のケースで、選択の責任を見極めるなら、

相手が荒波を好きであろうが、凪を好きであ

ろうがそれは、相手の自由と受け取ります。

 

そこにどちらが優れているか、競う気持ちが

あるから、争いになるのでしょうから。

 

私は、荒波も好きですし、凪も好きです。

 

荒波が好きな人に凪の良さを押しつける

必要もないし、逆に凪が好きな人に荒波

の良さを押しつける必要もないと思うの

です。